テレビ広告の歴史って?日本ではどんな技術で発展・変化してきたの?
日本で最初のテレビ広告は、正午の時報から始まりました。その後、日本では徐々にさまざまな企業が趣向や技術を凝らし、多種多様なテレビ広告を作りながら現在に至ります。インターネットやスマートフォンの発達など、テレビ以外のメディアや媒体が出現しても今なお一定の市場価値を持つテレビ広告。今回は、そんなテレビ広告の歴史についてご紹介します。
目次[非表示]
- 1.日本で最初のテレビ広告とは?
- 1.1.日本初のテレビ広告は「精工舎」
- 1.2.テレビ広告は豊かさの象徴
- 2.社会情勢を表してきたテレビ広告
- 2.1.「モーレツ」から、「ビューティフル」へ
- 2.2.テレビ広告のメッセージ性
- 3.デジタル技術の発達
- 4.まとめ
日本で最初のテレビ広告とは?
日本で最初のテレビ広告は、1953年の正午の時報でした。当時のテレビ広告とは、どんなものだったのでしょうか。
日本初のテレビ広告は「精工舎」
日本初のテレビ広告は「精工舎(現:セイコーホールディングス株式会社)」のもので、1953年8月28日の正午の時報から始まりました。これを放送したのは、民放である日本テレビです。ニワトリがゼンマイ仕掛けの時計を調節するという内容で、フィルムを使って作られていました。
当時はチャンネル数も少なかったのですが、1955年には現TBS(東京放送)、1959年には現テレビ朝日、フジテレビと次々に民放が開局し、キーステーションの他、各県・エリアで地方局を次々と開局。テレビ広告も大きく広がっていきます。ところが、当時はまだビデオが存在しなかったため、この時代のテレビ広告の資料はほとんど残っていませんでした。
そんな中、2006年にとある東京のCM制作会社で、1950〜60年代の貴重な広告フィルムが大量に発見されました。発見されたフィルムは全部で約8,000点、特に貴重な50年代のものだけでも約2,000点もの資料が見つかったのです。中にはダイハツミゼット(当時多かった、三輪貨物自動車)や、当時の池田勇人首相が出演する自民党のテレビ広告などもあり、当時の生活文化を知るためにも大切なフィルムです。
テレビ広告は豊かさの象徴
1950年代の終わりごろから60年代にかけては、「三種の神器」と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫が一般家庭に普及しました。さらに1965年ごろには、続く「3C」であるカラーテレビ・クーラー・自家用車も一般家庭に広まっていきます。これらの製品は、テレビ広告を通じ「豊かさの象徴」として人々が憧れたものでした。
一方、テレビやカラーテレビが普及していくにつれ、テレビ広告のキャッチーなフレーズから流行語が生まれることもありました、以下のようなキャッチフレーズは、70年代や80年代の流行語も含みますが、聞き覚えがある人も多いのではないでしょうか。
- あたり前田のクラッカー
- なんである、アイデアル
- クリープを入れないコーヒーなんて……
- ウーン、マンダム
- 私はこれで会社をやめました。
- 芸術は爆発だ!
-
24時間戦えますか
テレビ広告は、戦後日本の復興とともに発展してきた文化である、とも言えます。
社会情勢を表してきたテレビ広告
テレビやカラーテレビが一般家庭に普及し、ほとんどの家庭が一定の豊かさを持てるようになった1970年代以降、テレビ広告はその当時の社会情勢を反映してさらに進化してきました。
「モーレツ」から、「ビューティフル」へ
これは1970年代初頭に富士ゼロックスが発表した、コピー機のテレビ広告です。戦後、がむしゃらに働いて戦後復興を果たした日本は、高度経済成長を経て一定の物質的豊かさを持てるようになりました。しかし一方で、公害問題や環境問題が顕在化し、消費者運動や学生運動などの気運が高まるなど、既存の価値観への反動も一気に生まれたのです。
そこで、1970年代には高度経済成長期に生じたひずみを見直し、もっと洗練された生活を楽しんだり、人間性・感性を大切する生活を送ろうとしたりする価値観が生まれました。そんな中、「モーレツからビューティフルへ」というメッセージは人々の価値観とマッチし、広く受け入れられたのです。
テレビ広告のメッセージ性
東日本大震災直後によく放映された、金子みすゞさんの詩「こだまでしょうか」のフレーズを使ったテレビ広告のように、ネット広告が台頭してきた現代でもなお、テレビ広告のメッセージ性はいまだに高いと言えます。ACジャパンは公益社団法人であり、CM枠の突然の空白に使われることが多いですが、近年では各企業もテレビ広告で強いメッセージ性を打ち出し、企業ブランディングに使っています。
女性を応援する内容、LGBTQのような多様性を支持する内容など、グローバルな視点から共感を得やすいテレビ広告も増えてきました。一方で、ステレオタイプを強調してしまうテレビ広告などは、批判の対象となりやすいです。ブランディングにおいては、社会情勢や世論の動向をよく知ることが欠かせません。
デジタル技術の発達
さらに、CGなどの映像技術もCMとともに発達していきました。最後に、技術面の歴史についても見ておきましょう。
80年代、映像合成技術の飛躍的な進歩
80年代に入るとデジタル技術が進歩し、実写では撮影できないような映像を合成して作る技術も発達していきました。人間がロボットや動物に変身するなどの特殊効果技術も、まずテレビ広告という短い秒数で作られ、それから映画や番組へと発展していったのです。
さらには、コンピューターグラフィックスの進化で、炎・波・煙など複雑な動きも表現できるようになりました。
創れない映像はない!?現代のテレビ広告
令和の現在では、実在しない人間をあたかも存在するかのように見せられる映像までも作れるようになりました。もはや、「2次元で表現できるもので、創れないものはない」とまで言われています。
しかしそれば、逆に言えば、ただ不思議なだけの映像は「しょせん合成」と思われてインパクトに欠けるということでもあります。これからのテレビ広告は、単純な技術力よりも発想力、人間性や感性への訴求がこれまで以上に求められるでしょう。
現代では、アニメーションで表現して一躍話題になるCMも出てきています。アニメーションについての詳細は以下の記事をご覧ください。
まとめ
日本のテレビ広告の歴史は、戦後日本の復興の歴史、発展の歴史、技術開発の歴史とぴったり寄り添っています。初めは豊かさの象徴であり、次第にメッセージ性を持つようになり、現代では最新映像技術のお披露目としての役割も生まれました。今後は単なる不思議さやインパクトだけでなく、発想力などより感性に訴求するテレビ広告が求められるでしょう。